スタートレックの世界への憧れ

私は口唇口蓋裂で出生した。
何度も手術したし、言語治療にも通っていた。
病院が庭だったし、すごく通院が楽しかったのを覚えている。
私よりも重い子や、違う病気で入院し、手術を待つ子たちとも過ごしていた。入院中は、お見舞いがくるか否かが子どもたちのなかでのストレッサーになり、部屋で喧嘩が起きる。
私はそれでベットから落ちて怒られた過去がある(笑)
ただ、それが自分には当たり前の世の中だった。
私の多様性への適応能力はこの経験のおかげかもしれない。
でも、残念だが、この世はスタートレックの世界ではないのだ。

平成になる前に生まれているので、いじめや嫌がらせにもあった。
今は知っている人が見れば分かる程度だから気付かれることはほぼないけれど・・・。
そういうことに、当時は怒っていたと思う。でも今はあまりそういう感情はない。

純粋に、人間、違うモノは怖いよなって思う

 

男と女で差があるって世間では騒いでいるけど・・・私にとってはそれ以上に差がある世の中だった。
差別があるのはリアルだと思うし、否定する余地もないが・・・。でも、なんというかその2軸で話していていいのか?という疑問がつきまとう。
こういうことを言うと、そういう話ではないと言われるんだろうなって思うけど・・・。私にとっては同じことだ。
たとえば…

もし、自分が言葉を話すことができなかったら?

と想像したことってあるだろうか?
私は話すことを仕事にしているけれど・・・恐怖でしかない。そういったことを想像できるのか否かの問題だと感じる。
もちろん、本や論文から色々なことを学ぶことが必須だし、その上でどう想像するかだとは思うけれど。それを学んでいないから対話できないわけではないんじゃないかなぁと思うのだ。

男で産まれたかった?女で産まれたかった?
障害がなく産まれたことが幸せ?

 

そもそも、それは選べるのか?
誰の子どもに産まれたかったかを問うレベルで不毛だ。
性別はもちろん、環境、姿、形、肌の色は選べない。場合によっては、五感の有無、ある種の能力だって先天性のもので、自ら選んだわけではないし、神のみぞ知るだ。

選べるとしたら、それらの違い、個別性(多様性と言ってもいいかもしれない)とどう付き合うかだ。また、他者とどう関係性を築いていくかだろう。
痛み、傷つきからの怒りはあって当然だと思う。この話以外でもそういったことを感じる環境で育った。
でも、それに対して怒りつづけて、相手とのマウンティングを奪い合い続けることに意味があるんだろうか?

昨日書いた、二次元論、2軸で物事を考えていくのは、「良い or 悪い」、「上 or 下」といったレッテルがクルクルと回るだけだ。そこに生まれるのは憎しみと憤りといったネガティブな感情のように、私は思う。

もっとわかりやすく、みんな違うんだぜー?って分かるような、スタートレックの世界のような世の中だったら良かったのに…と思ってしまう。
もっと自明になることが増えて、少し雰囲気変わるんじゃないかなっていう願いを込めて筆を置きたい。

コメント

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